京都速記学校における授業時間について


 中根正親先生回想録に収録されている「中根式創案当時の思い出」339ページ)の「研究の公表」では非常に興味深いことが書かれております。

 

研究の公表

 自式を最初に公に教えたのは、大正3年の6月ごろであった。当時、京都予備校長辻本氏の好意により1教室を借用することができた。そこを会場として、集まった生徒は6名、しかもその職業はまちまちで、すなわち、酒造家、官吏、歯科医の助手、学生、小学校教員及び建築家といった人たちであった。

 これらの人たちに、6ヶ月毎晩3時間ずつ講義した。書く練習は講義時間後30分ぐらいずつやってみたが、そのうち最も成功したのは酒造家であって、職業上速記が必要であるべきはずの人がかえって不成績であったことは、意外な感じがした。(後略)

 

と書かれております。速記教育の観点から私見を書いてみたいと思います。

 京都速記学校の授業時間では1日3時間30分と推定できます。講義時間を速記法、書く練習を速記術という言葉で書いてみたいと思います。

 1ヶ月を26日平均で計算をします。

 26日×3.5時間×6ヶ月=546時間ということになります。

  内訳は

  速記法 26日×3時間×6ヶ月=468時間

  速記術 26日×0.5時間×6ヶ月=78時間

という単純計算になります。

 また1ヶ月を25日平均で計算をしますと、

 25日×3.5時間×6ヶ月=525時間

  内訳は

  速記法 25日×3時間×6ヶ月=450時間

  速記術 25日×0.5時間×6ヶ月=75時間

という単純計算になります。

 

 では、私が昭和44年4月に中根速記学校の夜間部に入学をした1年間の学習時間数を参考までに割り出してみたいと思います。

 中根速記学校では、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休み、春休みなどがありますので、実質的な授業日数は約248日ぐらいです。授業時間は1日2時間です。私の知っている限りでは昭和54年まで、昼間部、夜間部とも2時間の授業時間です。授業内容は速記法速記術のみです。

 248日×2時間=496時間

という単純計算になります。夏休みは8月末の日曜日に社団法人日本速記協会速記技能検定試験が行われますので、2週間前には補習授業が行われます。この12日間を含めた日数が約248日に計算されます。

 前期の4月15日に入学をしてから9月末までに中根式速記法における速記法則体系の授業が95%終了をします。実質的には夏休みもありますので約4ヶ月半の期間で速記法則の指導を受けます。後期の10月から3月末までは速記術の授業が中心になります。

 前期の授業は基本文字から始まりますが、速記文字の指導とともに実技の時間もあります。この2時間の授業の中では、法則の説明は速記文字の量によって違いますが、1時間で終わるときもありますが、2時間で終わるときもあります。

 時間が余ったときには、速記術の時間に当てられます。

 新しい法則を習った翌日から3日間は速度を落として練習をしますが、徐々に速度を上げて練習が行われます。その繰り返しが9月末まで行われます。この時点で標準的な速度は分速150字です。

 8月の検定試験では5級(分速120字×5分間)を受験して、ほとんどが合格をします。11月の検定試験では4級(分速180字×5分間)を受験して2割程度の不合格者が出ます。

 1年目は「本科」といいますが、本科の卒業試験は3月中旬に、社団法人日本速記協会技能検定試験で過去に3級で出題された検定試験の問題文(分速240字×5分間)と、中根速記学校のオリジナルで書きにくい問題文(分速200字×5分間)の2問を速記して、書けた方を原稿用紙に反訳して提出をします。落ちたら分速200字×5分間の再試験、再々試験が待ち受けております。

 昭和44年度4月入学夜間部本科生の卒業試験では、第1回目の合格率は9割程度です。中根速記学校では、戦前から昼間部よりも夜間部の方が全体的に優秀だという伝統がありました。

 本科の卒業は分速200字×5分間が書けるという最低条件を満たしていなければなりません。

 

 大正初期における京都速記学校の授業時間は、速記法に3時間が当てられておりました。創案者・正親先生は、中根式速記法の法則理論はもちろんのこと、中根式の法則立案などを詳細に説明をされていたと思います。つまり速記法に重点を置いた授業です。特に夜間部の授業時間で毎日3時間半というのは、速記学習者にとっては非常にきついと思います。

 「研究の公表」の中で、

 その後、12〜13人のものが頻りに練習をしてみたが、速記の機運というものが動くところまではなかなか至らなかった。彼らはそれぞれ1〜2ヶ月くらいでやめてしまうという状態で、私は最後に京極三条の角に約1週間寒風にさらされながら、夜6時から10時ぐらいまでの間に約2万枚の宣伝ビラを配付してみた。(中略)宣伝などという言葉ははやらないときであったが、そり結果として得た新入生は、わずかに1名というような哀れなありさまであった。

と書かれております。

 私たちの同期生でも1〜2ヶ月ぐらいで3割程度は落伍者になっております。この時期で残った7割の生徒で本科の卒業試験を迎えました。

 京都速記学校における6ヶ月間の授業時間数と中根速記学校における1年間の授業時間数を比較しても時間数は半月分を上回っております。

 大正初期は、中根式の速記指導法が確立をされていない時代です。正親先生も暗中模索の状態で指導をされていたことが容易に推測できます。

 

 京都速記学校で指導をされた法則体系を100として、昭和44年に中根速記学校で指導をされた法則体系を比較すると、中根速記学校の場合は200〜220ぐらいになります。もちろん年代的にも50年以上の開きがありますので、速記指導法も確立をされておりますし、速記法則も格段と進歩をしております。

 中根速記学校では、かなり砕けた細かい書き方まで指導をしております。法則は丸暗記の方法ではなく「基本形+活用形」の形で指導を受けますので、法則を覚える苦痛はありませんでした。